希望の源泉(2)(すべての思想を生かしていく)

 「希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第 2回 は、〔すべての思想を生かしていく 「法華経の智慧」〕 であります。
 はじめに、宗教の悪魔的な一面について述べられています。

 〔多文化主義を再生させる 「人間主義」
 佐藤 優  「序論」 で、池田会長は次のように述べています。 
 「宗教は、使い方によっては “悪魔” となる。 人々を結びつけるべき宗教が、利用され、かえって分断をあおっている。 これほどの不幸はない。
 どこまでも 『人間のための宗教』 が根本とならねばならない。 『宗教のための人間』 では絶対にない。 『二十一世紀の宗教』 の、これは根本原則です」
 (「普及版」上巻・19P)

 そして、宗教が 「悪魔」 となってしまった例として、キリスト教徒は指で十字を切って祈るが、二本指(カトリック教徒・クロアチア側)か、三本指(正教徒・セルビア側)かの違いによって人々を分断し、ボスニア紛争期には、相手の捕虜の指に針金まで入れて強制したとのことである。
 現在の I S (イスラム国)が行っている残虐な テロ行為にも、同じような ファナティズム(狂信)が感じられます。 I S のような反・人間主義的な宗教集団の跋扈(ばっこ)が、21世紀に入ってからも起きてくることを、『法華経の智慧』 は予見していたと言えるかもしれません、 と述べられ、宗教の ドグマ(教条主義)による不幸な民族間分断の実態を語られています。
 そして “多文化主義” について、多文化といってもすべての文化を無条件で認めることではない と述べています。

 ――  池田会長の 「人間主義」 が異なる宗教を結び付ける役割を果たすといっても、単なる 「多文化主義」(マルチカルチュラリズム=異なる文化の価値を等しく認め、その共存を推進していこうとする考え方) ではないと思います。……

 佐藤  そのとおりです。 多文化主義が異なる文化の価値を等しく認めるものであるなら、たとえば ナチズムのような思想にも価値を認めていいのか?  いいはずはないわけです。 では、尊重すべき異文化と、認めてはならない悪しき異文化を分かつ基準を、どこに置くべきか?  池田会長は、その基準を 「人間のため」 という一点に置かれたのだと思うのです。 多様な文化は尊重すべきだが、ナチズムや現在の I S が陥(おちい)っている ファナティズムのように、人間の価値を軽んずる思想は決して認めるわけにはいかない……という一線をを引いた。
 創価学会と日蓮正宗宗門の決別 以来、池田会長が一貫して宗門と戦ってきたのはなぜかと言えば、宗門にはびこる “思想” ―― たとえば僧俗差別主義や法主絶対主義 ―― が、人間主義に反しているからでしょう。 反・人間主義的な宗門の価値観を放置していたら、創価学会全体の価値観・生命観・人間主義にも、大変な悪影響を与えかねない。 だからこそ、池田会長は宗門を批判し続けざるを得なかった。 創価学会と宗門の対立を、単なる権力闘争のように捉えている人が多いですが、実は人間主義と反・人間主義の闘争であり、「人間のための宗教」 と 「宗教のための宗教」 の闘争であったのです。
  (第三文明・2016-9月・53P)
 
 現代は、むしろ宗教が人々の幸福に寄与するどころか、不幸の原因になっている。現に シリア内戦によって大量の難民が発生し、悲惨な状況下に置かれている。
 紛争の原因は、いろいろ複雑多岐にわたり一概に言うことはできない。単なる宗教戦争でもないようだが、当事者の心の奥底には、一神教の影響があるように思われる。 

 キリスト教・イスラム教等は、天地創造の唯一絶対神を信じている。唯一絶対神とは、他の一切の神の存在を許さないと言うことになる。それゆえか、もともと同じ思想から発生した同根の宗教であるのに、各々宗派が異なると言うだけで対論ができず、往々にして殺し合いの抗争になるのである。不倶戴天の仇のように見るのは、一神教の弊害であると思う。

 一方、仏教は多神教であり、多くの仏・菩薩や神を認めています。特に法華経は、一切衆生に仏性有りとして、人びとを仏と見る思想である。宗派間の論争で武力を使ったことはないのである。
 創価学会と日蓮正宗との対立も、学会側は話し合いを求めたが、宗門側はそれには一切応じず、一方的に、学会と広宣流布の破壊を企てたので、決別に至ったのである。
 その真因は、佐藤氏の言われるように “実は人間主義と反・人間主義の闘争であり、「人間のための宗教」 と 「宗教のための宗教」 の闘争であった” のであり、悪思想の邪義は、徹底して闘い撲滅しなければならないのである。

 ――  ドイツの アンゲラ・メルケル首相が、2010年に 「多文化主義は完全に失敗した」 と発言して大きな話題となったことがあります。……

 佐藤  多様な文化の尊重だけでは ダメで、普遍的価値に基づく確固たる線引きがなければならない。 その線引きになり得るのが、池田会長の人間主義でしょう。 メルケルの発言が象徴するように多文化主義が行き詰まっている昨今ですが、池田会長の人間主義と結びつくことによって、多文化主義も再生すると思います。
 「異なる宗教の平和的共存」 という二十一世紀社会の重要な課題に、『法華経の智慧』 は一つの答えを提示していると思います。
  (同誌・54P)

 〔法華経が 「諸経の王」 である理由
 ――  法華経は 「諸経の王」 と呼ばれていますが、この呼び方には少し誤解されている面があると思います。 「法華経だけが優れていて、ほかの諸経は無価値である」 という独善とは似て非なるものだからです。 池田会長は 「序論」 で、その点について次のように述べています。
 「法華経は 『経の王』 です。 王とは、他を否定するのではなく、一切を生かしていく立場です」 (上巻・23P)
 つまり、法華経という フィルターを通すことによって、ほかのあらゆる宗教や思想も正しく生かされていくからこそ、法華経は 「諸経の王」 だというのです。

 佐藤  わかります。 確かに 『法華経の智慧』 には、キリスト教や イスラム教などの他宗教、マルクス主義などの思想、科学の先端的知見などが自在に織り込まれ、その意義が法華経の視座から再解釈されています。……   (同誌・56P)

 ――  アインシュタインが 「宗教なき科学は不完全であり、科学なき宗教は盲目である」 と言ったように、一流の科学者は往々にして宗教の意義も認めているものです。 また、無神論者であったとしても、「生命への畏敬の念」 は抱いているものだと思います。

 佐藤  私もそう考えます。 その点、法華経は生命の尊厳を根底に置いているからこそ、生命軽視、人間軽視には決して陥らない。 だからこそ、宗教・政治・科学など、あらゆる分野の思想を統合しゆく中心軸になり得るわけですね。  (同誌・57P)

 行き詰まっている多文化主義 や その他 すべての思想を生かしていけるのは、「諸経の王」 である 「法華経」 以外にはありません。生命尊厳主義・人間主義・文化主義・平和主義を根底として、あらゆる分野の思想を生き生きと活用させていけるのであります。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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