理を貴ぶ

 連載中の新・人間革命の中で、戸田先生の 「信は理を求め、求めたる理は信を深からしむ」 のご指導が載っていて、男子部時代のことを想いだして懐かしく感じました。

 1月度の拝読御書は 『日女御前御返事』 であった。別名を 『御本尊相貌抄』 といい、御本尊の御姿等の深義を明かされた御書です。この様な重書を、大檀越である南条時光殿や四条金吾殿ではなく、女性信徒の日女御前に授けられたということは、“仏教は男女差別の宗教である” と、巷間言われているようなことは、決して無いのである。それどころか、ただ一人 「聖人」 という尊号を授けられた日妙聖人も、これまた女性信徒なのである。

 引き続きこの御書には、日女御前に対し御本尊への信心の大切さについて、ご教授なされています。
 「南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」
 「円信と言うは理に依って信を起す、信を行の本と為す」(1244P)
 と指導され、法華経の信と言うのは、理論によって信心が生ずるのである。その信が修行の基本となる、と言うことであります。

 ところが、他宗においてはこの理論面が、はなはだいい加減なのである。たとえば、戦時中、靖国神社の歌を歌わされていた。歌詞は 「何にも言えず靖国の ……… そうだ感謝のその気持ち …… 揃う気持ちが国護る」 とこの様な歌だった。

 何にも言え無いなんて、理論・対話は無しである。そうだ感謝その気持ちとは、気分や感情ばかりである。その気持ちで国を護ると言うが、護れなかったことは皆知っている。

 一般的に神社仏閣等は、人と神仏の間に広い空間を設け、両側には樹木を植え、鬱そうとした森林の中を、内宮や奥ノ院に向かって、長い石畳の階段や玉砂利を踏んで歩けば、人は皆誰でも・清々しい・神々しい・何となく理屈抜きで有り難い・頭が下がる、と言う感情を懐くものである。境内は、この様な気持ちを起させる、舞台設定になっているのである。

 この様なことに、騙されてはいけない。何となく・理屈抜きでと言うことが、一番危ないのである。理屈抜きの思考停止で、国民は戦争への道を歩まされたのである。

 又止の一に云く 「何が円の法を聞き・円の信を起こし・円の行を立て・円の位に住せん」(1244P) と仰せです。 円とは、円融・円満の義で法華経を指します。如何にして正しい法華経の法を聞き、正しい信・行を立て、正しい位即ち成仏の位に住せんと願っているのである。ここでは常に、如何にしてと問いかけ、正しき論理・文義を求めているのである。

 一般的に日本人の宗教観は、先祖伝来の宗教だから、親・親戚から言われている、葬式など世間体があるから等々、主観的ではなく、ぜんぶ他人任せである。

 そのようなことでは無く、自らが主体的・能動的に、正しき法を求めなければならないのである。宗教は、自分にとって一番大切な 「生命」 を対象とした学問である、と言えるからである。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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