「新・人間革命」第10巻〔言論城の章〕(学会精神)

 第10巻では、1965年(昭和40年)元旦から、翌年 3月 5日の壮年部結成大会までの模様が描かれている。

 〔言論城〕
 人間革命 ―― そこには、いっさいの原点がある。
 すべての根本をなしているのは、人間であり、自己自身であるからだ。
 ゆえに、自分自身の生命の変革が、家庭を変え、地域を変え、社会を変える。時代を変え、歴史を変え、世界を変える。
 その人間革命をなしゆく仏法の力の大潮流が、渦巻き、怒涛となって大海を走り始めた。

 「勝利の年」 と銘打たれた、一九六五年(昭和四十年)の新春は、会長山本伸一の小説 『人間革命』 の新聞連載で始まった。
  (新・人間革命10巻・7P)

 「勝利の年」 と銘打たれた昭和 40年。聖教新聞元日付から小説 『人間革命』 の連載が始まった。
 また聖教新聞は、7月15日付から日刊化されました。その準備が進む、編集、印刷、広告、業務の各担当者の奮闘の模様が語られています。実に、“仏法の力の大潮流が、渦巻き、怒涛となって大海を走り始めた” という感に打たれます。
 ある時、池田先生は職員と懇談され、“聖教を世界最高の言論城に” と指導激励されました。

 「聖教新聞は広宣流布の機関紙だということを忘れてはならない。
 一般紙は不偏不党の立場で、物事を客観的に報道するということが基本だ。 しかし、機関紙というのは、自分たちの主張を、どう伝え、いかに波動を起こし、共感を広げていくかが勝負になる。……」
 ………
 「では、聖教らしさとは何か。
 第一に、どこまでも、広宣流布のための機関紙であり、読めば、民衆の幸福と平和のために立ち上がろうという思いがわき起こる、新聞でなければならない。
 また、邪悪とは敢然と戦う、折伏の精神がみなぎっていることが大事だ。
 第二に、すべての人が、真実の仏法とは何かを、よく理解することができる新聞だ。 聖教新聞に触れることは、仏法に触れることになるんだからね。 そして、生命の大哲学の視点から、あらゆる物事を的確にとらえ、問題の解決の方途を示していくんだ。
 第三に、読者に勇気と希望を与える、“励ましの便り” でなければならない。
 聖教は、すでに学会員以外にも読者をもち、広く 『人間の機関紙』 として愛読されている。 その人たちが人間としての生き方を学び、活力の源泉となるような新聞にしていくことだ」
  (同書・72P))

 さらに日刊化によって一般の ニュースも入るようになるし、“よくまとまっていて、わかりやすいと言われるようにすべきだ。 また、文化欄、家庭欄などは、仏法を根底にした人間主義のの視点からの企画、論調が大事になってくる” と指導されています。
 ところが、大闘争の最中、米子支部長が、交通事故で、42 歳の若さで亡くなってしまった。周囲から、“学会の信心が正しくて、御利益があるのなら、なんで、幹部が事故で死ぬのか” 等々の疑問や不信が爆発し、学会を批判し始める会員の姿が見られたのである。
 先生は、急きょ、米子会館で行われていた地区部長会に出席され、次のように指導されています。

 人には宿業があるが、その宿業の深さはわからない。 たとえ、若くして亡くなったとしても、信心を貫いた人は、宿業を 「転重軽受」(重きを転じて軽く受く) しての死なのである。
 ともあれ、真の信仰者として広宣流布に邁進している人は、いかなるかたちで命を終えようとも、成仏は間違いない。
 初期の仏典には、次のような話がある。
 ―― 摩訶男(マハーナーマ)という、在家の信者がいた。彼は、もし、街の雑踏のなかで、三宝への念を忘れている時に、災難に遭って命を失うならば、自分はどこで、いかなる生を受けるのかと、仏陀に尋ねる。
 すると、仏陀は言う。
 「摩訶男(まかなん)よ、たとえば、一本の樹木があるとする。その樹(き)は、東を向き、東に傾き、東に伸びているとする。もしも、その根を断つならば、樹木は、いずれの方向に、倒れるであろうか」
 摩訶男は答えた。
 「その樹木が傾き、伸びている方向です」
 仏陀は、仏法に帰依し、修行に励んでいるものは、たとえ、事故等で不慮の死を遂げたとしても、法の流れに預かり、善処に生まれることを教えたのである。
 また、日蓮大聖人は、南条時光に、弟の死に際して与えられたお手紙で、「釈迦仏・法華経に身を入れて候いしかば臨終・目出たく候いけり」(1568P) と仰せになっている。信心に励んだ人の、成仏は間違いないとの御指南である。
  (同書・20P)

 先生のご指導のなかの釈尊の説話は、非常に解りやすく、心から納得のいくものである と思いましたのでご紹介しました。
 修行に励んでいる人は、たとえ、事故や事件に巻き込まれて不慮の死を遂げたとしても、成仏の道から外れることはないのである。
 ここで、涅槃経の文を思い出しました。「菩薩悪象等に於ては心に恐怖(くふ)すること無れ悪知識に於ては怖畏(ふい)の心を生ぜよ、何を以ての故に是れ悪象等は唯能く身を壊りて心を壊る事能(あた)わず、悪知識は二倶(とも)に壊るが故に、悪象の若(ごと)きは唯一身を壊る悪知識は無量の身無量の善心を壊る、悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては三趣に至る」 (452P) という経文です。
 三趣とは、地獄・餓鬼・畜生のこと。悪知識とは、謗法の悪友である。悪友に随い謗法を犯せば、必ず三悪道に堕ちるのである。心して重々気を付けなばならない。

 8月に入り、伝統の夏季講習会が、本山で実施された。
 先生は、この講習会で、学会精神をわが同志の胸に深く打ち込まれました。
 
 ―― 「本門の時代」 に入り、広宣流布の流れは、社会のあらゆる分野で、仏法の人間主義ともいうべき思想を実現していく、多様多岐にわたる 「展開」 の時を迎えた。 そうであればこそ、皆が原点である学会精神に立ち返ることが、何よりも大切になる。
 学会精神 とは、浅きを去って深きに就く、一人立つ 「丈夫の心」 である。
 殉難を恐れぬ、「死身弘法」 の決意である。
 間断なき、「未曾暫廃」 の持続の闘争である。
 情熱と勇気の、「勇猛精進」 の実践である。
 いかなる難も、莞爾として耐え忍ぶ、「忍辱大力」 である。
 大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く、「如説修行」 の行動である。  
 邪悪を許さぬ、「破邪顕正」 の精神である。
 正しき信心の血脈に結ばれた、「師弟不二」 の道である。
 堅固なる 「異体同心」 の団結である。
 一人ひとりを仏を敬うがごとく大切にする、「当如敬仏」 の心である。
 この学会精神を伝えるには、どうすればよいのか ―― 答えは明らかである。 自らが行動することだ。 精神の継承は、振る舞いのなかにのみある。
  (同書・90P)

 上記のように、学会精神を 10項目に分けて教えてくださいました。“この学会精神を伝えるには、自らが行動することだ。 精神の継承は、振る舞いのなかにのみある” と、先生は自ら どこで出会ったメンバーにも、寸暇を惜しんで激励を続けられました。
 “そのお姿自体が、「勇猛精進」 であり、「未曾暫廃」 であり、「当如敬仏」 であった” のであります。 

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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