「希望の源泉」(5-b)(諸法実相)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 5回は、〔生命論として 「諸法実相」 を読み解く書」 であります。
 前回の第 5回から 「方便品」 に入っていますが、方便品は何と言っても 「諸法実相」 を論じなければ、画竜点睛を欠くことになるし、片手落ちになりますので、2回に分けての記載となります。

 〔「実相」を「宇宙生命」と捉える視座〕
 「諸法」 とは森羅万象のことで、「実相」 とは 「ありのままの真実」 という意味になります。
 『法華経の智慧』 での池田先生の指導が引用されています。

 ――  「戸田先生は、『宇宙生命それ自体が、南無妙法蓮華経なのです』 と言われていた。(中略)
 現代人に分かりやすく、まとめて言えば、『諸法』 は個々の生命、その諸法の 『実相』 は一つの大いなる宇宙生命、と表現することも可能でしょう」
 「『実相』 という永遠の生命の世界は、いつ、どこにあるか。 『いま』 『ここに』 ある。 それを悟れば仏、悟らなければ九界です。 ゆえに、菩薩界が仏界に近いのでもなければ、地獄界が仏界から遠いのでもない。 平等に、自己に即して仏界を開くことができるのです」
 (上巻・191~192P)

 佐藤  そのように、「諸法実相」 の 「実相」 を、宇宙生命=南無妙法蓮華経=仏界と捉えて点が、創価学会の独創性なのでしょうね。
 私は語らいのなかで、斉藤(当時教学部長)さんが 池田会長に次のように応じている点に、強い印象を受けました。

 「多くの哲学が 『現象の奥に』 真理を見ようとしたり、『現実の根底』 に根源の一者を立てたりしました。 しかし、法華経は、そうではないのですね」 (上巻・193P)
 「『現象の奥に』 真理を見ようとしたり」 「『現実の根底』 に根源の一者を立てたり」 とは、言い換えれば、「諸法」 と 「実相」 の間に越えられない壁を設定するということですね。 それに対して法華経は、現象がそのまま根源的真理であり、諸法が即実相そのものだと捉える …… というのが、ここで展開されている池田会長の解釈です。

 池田先生は、“真理(実相)と言っても、どこか遠い別世界にあるというのではない。 具体的な現象(諸法)から絶対に離れず、あくまで、この具体的な現実(諸法)の真実の姿(実相)に、英知を集中させている。
 寿量品第十六にも 「如来は如実に、三界の相を知見す」(法華経・499P) とあります。 三界とは現実世界です。
 現実世界(諸法)から決して離れない決心 ―― これが仏の心です。
 同時に、現実世界(諸法)の表面にとらわれず、そこに秘められた偉大なる真実の姿(実相)をとらえ、教え、開いていく ―― これが仏法の智慧です。
 「諸法実相」 という言葉のなかに、仏法の徹底した 「現実主義」 と、「現実を超えていく智慧」 が込められているのです”
 と指導されています。

 ここで、当時流布していた 「天台本覚思想」 について語られています。
 ――  ただ、日蓮在世当時の日本の天台宗に生まれた 「天台本覚思想」 のように、“衆生は本来、そのままで仏なのだから、どんな欲望も、どんな現実も、そのまま肯定していいのだ” という 「諸法実相」 の曲解に陥りかねない危険性もあります。

 佐藤  そうですね。 そのような曲解は ニヒリズム(虚無主義)つながるでしょうし、戦争肯定にもつながりかねません。 池田会長が次のように仰っているとおりです。
 「諸法即実相 と言っても、あくまで仏が見た究極の真理です。 迷いの凡夫が見る現実とは隔(へだ)たりがある。 ゆえに 『人』 は 『真理』 の実現に向かって、絶えず近づかねばならない。 それが 『修行』 です。 諸法実相という 『理想』 に向かって、絶えず 『現実』 を超えていかねばならない。 それが 『変革』 です。
 この挑戦を忘れると、諸法実相という立派な法理を隠れミノ にして、人は現実に埋没して無気力になってしまいます。 これは恐ろしいことです」
 (上巻・203P) と指導されています。

 仏法では、「凡夫 即 極」 や 「煩悩 即 菩提」 など、「即」 の字を用いて多くの法理を説明しています。「諸法 即 実相」 の 「即」 を 「イコール(等しい)」 と とってしまったのが 「天台本覚思想」である。
 大聖人は 「即の一字は南無妙法蓮華経なり」(732P) と仰せです。
 「即の一字」 はあくまでも、御本尊に南無妙法蓮華経と唱題修業して、はじめて “凡夫が仏” となり “煩悩が菩提” へと変革できるのである。

 池田先生は、次のように指導されています。
 人間革命は即、社会革命・環境革命になる。
 諸法実相抄で大聖人は、妙楽の 「依報正報・常に妙経を宣(の)ぶ」(1358P) との釈を挙げられています。 依報(環境世界)も、正報(主体となる生命)も、常に妙法蓮華経を顕していると。
 天台も言っている。“国土にも十如是がある” と。
 依報も正報も、別々のものではない。 不二です。 ここから、人間の変革が国土・社会の変革に通じるという原理が生まれる。
 諸法実相という仏眼(ぶつげん)から見れば、森羅万象は、ひとつの生命体です。 正法だけの幸福はありえない。 依報だけの平和もありえない。 自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。 人を幸福にした分、自分も幸福になるし、だれか一人でも不幸な人がいる限り、自分の幸福も完全ではない。 こう見るのが諸法実相であり、ゆえに、「現実変革への限りなき挑戦」 が、諸法実相の心なのです。
 大聖人は、立正安国論を著された御心境を 「但偏(ひとえ)に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず」(35P) と述べられています。 どんな大難の嵐も、この民衆救済への炎を消せなかった。
 この御精神を受け継いで、「立正安国」 の旗を高く高く掲げ、牧口先生は獄中に殉教なされた。 戸田先生は、敗戦の荒野に一人立たれた。
 「法華の心は煩悩即菩提 生死即涅槃なり」 「一念三千は抜苦与楽なり」(773P)
 民衆を苦悩から救うために仏法はある。 創価学会はある。 人類を幸福にするために創価学会は戦う。 それ以外に存在意義はありません。
 その学会とともに進む人生は、どれほど偉大か。 どれほど尊いか。
 諸法実相の眼(まなこ)で見れば、「いま」 「ここ」 が、本有(ほんぬ)の舞台です。 本舞台なのです。 「此(ここ)を去つて彼(かしこ)に行くには非ざるなり」(781P) です。
 「宿命」 とも思えるような困難な舞台も、すべて、本来の自己の 「使命」 を果たしていくべき、またとなき場所なのです。
 その意味で、どんな宿命をも、輝かしい使命へと転換するのが、諸法実相の智慧を知った人の人生です。
 そう確信すれば希望がわく。 出会う人々、出あう経験のすべてが、かけがえのない 「宝」 となる。
 (法華経の智慧1巻・237P)

 本年、まことに有り難うございました。 2017年、“世界広布新時代 青年拡大の年” も、世間がどう動こうとも、御本尊にお題目をしっかり唱え、広布拡大に頑張りましょう。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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