「希望の源泉」(6)(秘妙方便と師弟不二)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く)の第 6 回は、〔『法華経の智慧』 は世界に向けて開かれた書〕 であります。
 1月号は、カラーページでなく モノクロページに記載されています。

 〔法華経方便品の 「秘妙方便」 とは〕
 引き続き、法華経方便品の 「方便」 について語られています。
 佐藤 勝  衆生を 「真の教え」 へと導くための 「仮の教え」 …… 『法華経の智慧』 では、池田会長が 「要するに 『方便』 とは、衆生を成仏へと導く 『教育』 の方法であり技術です」 (「普及版」上巻・134P) と述べています。

 天台大師は 『法華文句』 で、次の三つの方便を説いています。
 ① 法用(ほうゆう)方便 とは、衆生の機根に合わせて種々の法を説き、その法の働き(用)で、人々に応じた利益を与える教えです。これは当面の利益を与える面と言えます。
 ② 能通(のうつう)方便 とは、真実に入る門となる教えを言います。通り過ぎる門なので能通(よく通る)といいます。これは真実へと導く面と言えます。
 ③ 秘妙(ひみょう)方便 とは、一切衆生が仏であるという真実は、仏のみが知っていることで 「秘」 である。
 その真実は秘められているにもかかわらず、縁にふれて顕現する。そうした不思議な生命の実相を 「妙」 という。「方便品」 の方便 は、この 「秘妙方便」 をいうのである。捨てるべき方便ではなく、そのまま 「真実」 であるとする方便である。 
 戸田先生は、「われわれが、ただの凡夫でいるということは秘妙方便であり、真実は仏なのであります。 すなわち御仏壇にある御本尊即私たちと信ずるところに、この信心の奥底があります」 
 池田先生は、「凡夫がそのまま仏である。 これは不思議です。 思議し難い。 『妙』 です。 法華経を信じない人には、とても分からない。 『秘』 です」 と述べています。このようなことを 「秘妙方便」 といいます。 
 
 〔「師弟の道」 と 「師弟不二の道」〕
 ここでは、「師弟の道」 と 「師弟不二の道」 の違いについて語られています。
 佐藤  法華経以前の経典では二乗(声聞・縁覚)は成仏できないとされていたから、仏と弟子の間には超えられない壁があり、師弟は 「不二」 ではあり得なかった。それに対して、法華経では 「十界互具」 が説かれるため、弟子もまた成仏を目指すことができ、「師弟不二の道」 が初めてそこで可能となった …… という論理展開ですね。
 少し長くなりますが、池田会長がその点について語られた部分を引用しましょう。

 「『三乗』 の中の菩薩は 『二乗不作仏』 という差別を残した菩薩です。 『十界各別』 であり、ゆえに菩薩が衆生を救うこともできず、菩薩自身が仏になることもできない。
 それに対し、仏の願いは一切衆生を仏にすることにある。
 師弟の境涯の違いはいたしかたないとしても、師と弟子の 『心』 が、『願い』 が、『哲学』 が、根本的に違っているのです、
 一方、『開三顕一』 された後の菩薩は、“蘇生した声聞たち” も含め、すべての衆生が平等に成仏できるという 『十界互具』 の法理に立っている。
 そして、この大哲学の上に、すべての人々を仏にしょうという大闘争の軌道に入った。 そこで初めて、仏が歩んでいるのと同じ道に入った。 根本の一念において、師弟が目的を同じくする同志となり、『不二』 の道歩む先輩と後輩の関係になった。 そのように進んでいくのが、真の師弟なのです」
 (上巻・171~172P)

 ――  そう考えると、法主一人だけに特別な血脈が流れ通うと考える 「法主絶対主義」 に立つ現在の日蓮正宗宗門は、法華経の師弟不二を根本的に理解していないというか、法華経以前の段階にとどまっていると言えますね。

 佐藤  また、池田会長は 「現実社会という “海” に飛び込み、民衆一人一人をを幸福への “大船” に乗せていく ―― この戦いにおいては、仏もまた菩薩なのです」 (上巻・172P) と、仏も弟子と同じ立場で民衆救済の戦いを続けていくと語っています。

 師の心は 「如我等無異」 です。すなわち方便品に 「一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」(法華経・176P) とある。すべての衆生に、仏と不二の境涯を得させようという慈悲です。これが仏の 「本誓願」 である。
 法華経以前の三乗の仏弟子たちも、仏を信じてついてきて、それなりに 「師弟の道」 歩んできた。しかし、そこには自分は自分、仏は仏という断絶の心があった。すなわち師の心を知らなかったのである。 
 方便品で 「開三顕一(三乗を開いて一仏乗を顕す)」 が開顕され、すべての衆生が平等に成仏できるという 「十界互具」 の法理が説かれた。ゆえに、「開三顕一」とは、「師弟の道」 から 「師弟不二の道」 へと、弟子の一念、弟子の生き方を、根底から変革させるものであった。
 ここで初めて、一切衆生救済という目的を同じくする 「師弟不二の道」 がひらけたのである。「不二」 とは “合一” ということである。

 池田先生は、「師弟不二」 こそ法華経の魂であり、日蓮大聖人の仏法の真髄です。その一番大事なものを壊し、切り離そうとする。
 それが 「摩=奪命者」 の特徴です。
 「不二の道」 の否定は、十界互具の否定、人間の平等に対する冒瀆(ぼうとく)にほかならない。 この一点に、日顕宗の本質が顕れている。
 (法華経の智慧・1巻・201P) と述べられています。

 〔世界宗教化を見据えたテキスト〕
 この項目で 佐藤氏は 『法華経の智慧』 について少々述べられています。
 * 『法華経の智慧』 が “民衆に開かれた教学書” になっている。言い換えれば、学術書の体裁をとっていない。
 * そもそも座談の形式で作られていること自体、一般民衆に読みやすいものになっている。
 * 世界宗教化を見据えていたからこそ、学術書にしなかった。インテリにしか理解できないなら、世界宗教の テキストにはなり得ない。
 * 『法華経の智慧』 は、民衆に開かれた本であると同時に、学会員以外にも開かれた本です。
 そして、末尾のところには、
 佐藤  「学会内部だけに向けた “閉じた教学” ではなく、民衆に向け、世界のあらゆる宗教・文明の人に向け、法華経を解説する開かれた書であること ―― それが、『法華経の智慧』 という書物の大きな特徴と言えるでしょう」 と語られています。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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