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「希望の源泉」(20)(宿命を使命に変える)

 「希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第 20回は、「人生という劇」 に勝利するための思想 でります。  (第三文明・2018/3月・53P)

 前回と同じように、前月号の 〔宿命を使命に変えるための法華経〕 という項目から、「法師品第十」 の章に入っています。
 ここでは、『法華経の智慧』 の章の池田先生の発言にある 「宿命をも使命に変える。その力強い生き方を教えたのが法華経です」 (法華経の智慧2巻・226P) ということが、重要な テーマになっています。
 法師品から迹門の流通分で、対告衆が菩薩になります。菩薩には 「求道者」 としての側面と 「救済者」 としての側面がある。
 先生は 「『求道』 の面を忘れれば傲慢(ごうまん)になるし、『救済』 の面を忘れれば利己主義です。 学びつつ人を救い、人を救うことで、また学ぶのです」 (同書2巻・228P) と述べています。
 そのことを 「宿命を使命に変える」 に即して言えば、「求道」 の時点で宿命と対決し、「救済者」 になった時点ではすでに宿命が使命に変わっていると言えます、等々のことが語られています。

 願兼於業――学会員が逆境に強い理由
 「願兼於業(がんけんおごう)」 とは、仏道修行の功徳によって善処に生まれるところを、願って悪世に生まれ、仏法を弘通するということです。
 池田先生は、「戸田先生も、『初めから立派過ぎたのでは人々の中に入っていけないから、われわれは仏法を弘めるためにわざわざ貧乏や病気の姿をとって生まれてきたんだよ』 『人生は芝居に出ているようなものだよ』 と、しばしば言われていた。(中略)
 苦労もない。悩みもないというのでは民衆の心が分かるわけがない。 人生の辛酸をなめた人であってこそ、人々を救うことができるのです」
 (同書2巻・257P)

 戸田先生の 「人生は劇のようなものだ」 と言われる場合、通常の劇というのは、主役・観客・脚本家・大道具係など、明確に役割分担されていますが、学会員の皆さんの場合、それぞれの役割分担が時に応じて変わっていきます。 いわば 「役割が固定しない劇」 である点が、創価学会という世界の大きな特徴なのだと、佐藤氏は語られている。

 佐藤 優  学会の皆さんが言う 「人生は劇」 では、脚本を書く――すなわち自分の運命を切り拓(ひら)く主体も自分自身である。 また、自分が劇の主人公であるのみならず、助演者にもなれば裏方にもなる。 そこが決定的に違うわけです。 そうした考え方を生む背景にあるのは、“民衆という総体が主人公となって歴史を動かしていく” という、学会ならではの民衆史観なのだと思います。
 そして、“運命を切り拓く主体は自分である” という、「人生は劇のようなもの」 という人生観の核となっている考え方は、学会員の生き方の根っこになっているのではないでしょうか。 たとえ不遇な状況、苦難のただ中にあったとしても、それは自分自身があえて願い求めたものなのだ、という考え方。 「願兼於業」 とはそういうことなのだと思いますが、だからこそ、学会員の皆さんは逆境に強いのでしょう。


 『法師品』 には、「生ぜんと欲する所に自在なれば能く此の悪世に於いて広く無上の法を説くなり」(法華経・388P) とあります。
 先生は、自分の苦しみを 「業」 ととらえるだけでは後ろ向きになる。 それを、あえて 「使命のために引き受けた悩みなのだ」 「これを信心で克服することを自分が誓願したのだ」 と、とらえるのです。
 「願兼於業」 は、この 「一念の転換」 を教えている。 宿命を使命に変えるのです。 自分の立てた誓願ゆえの悩みであるならば、絶対に乗り越えられないはずはない、
と指導されています。 (同書2巻・258P)

 「慈悲」 は師からの感化で生まれる
 池田先生は、「『法師』 とは、現代的には 『精神的指導者』 と言えよう」 とのべています。 (同書2巻・227P)
 また、『御義口伝』 には、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり」(736P) と仰せです。
 南無妙法蓮華経と唱え、世界広宣流布に邁進する SGI・創価学会会員こそ、法師の中の大法師なのであります。
 
 佐藤  「法師品」 には、釈尊滅後の弘教のあるべき姿――言い換えれば 「法師」 であるための条件として、「衣座室の三軌」 ということが挙げられていますね。
 「如来の室に入り、如来の衣を著(き)、如来の座に座して、爾(しか)して乃(いま)し四衆の為に広く斯(こ)の経を説くべし。 如来の室とは一切衆生の中の大慈悲心是なり。 如来の衣とは柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是なり。 如来の座とは一切法空(くう)是なり」(法華経・394P) と……。 言葉は難しいですが、これは要するに、“法師たるには、慈悲心と忍耐力と自在な智慧を兼備していないといけない” という意味になるでしょう。

 折伏・弘教を為すときの姿勢であるが、忍辱の鎧を著て・ 慈悲の心を以て為せ というのは、少しは分かりますが、「一切法空が如来の座である」 ということは、なかなか分かり難い。
 天台大師は 『法華文句』 に 「心を空に安んずれば、方(まさ)に能(よ)く他を安んず。 他を安んじ己(おの)れを安んずる之れを名づけて座と為す」 としている。
 要は、一切法空の境地に立ち、不惜身命の精神をもって(如来の座に坐して) 折伏・弘教の戦いはやらなければならないということです。

 池田先生は 「一切法空」 について、次のように指導されています。
 自在の智慧ということです。
 すべてはつねに変化している。 無常の存在である。 空である。 そういう世界の諸法実相を、ありのままに見て、何物にもとらわれない境涯を指しているといえるでしょう。
 ………
 大聖人は 「座とは不惜身命の修行なれば空座に居(こ)するなり」(737P) といわれている。 不惜身命の行動こそが一切法空の座に居(い)ることになるというのです。
 人間のつねとして、何かに執着し、とらわれがちなものです。 例えば名声や地位などにとらわれ、それを手放したくないと惜しんでしまう。 それは人間として、ある意味では自然かもしれないが、その執着をあえて乗り越え、身命をも惜しまず戦っていくということが 「空座に居する」 ことです。
 「わが人生を広宣流布のために捧げていこう」 というのが信心です。 その信心に 「空」 の極意がある。
 (同書2巻・249~250P)

 折伏は、慈悲に基づく 「生命の触発」
 池田先生は、次のように指導されています。
  弘教は、相手の仏界を礼拝することだから、最高に相手を尊敬する行為なのです。
 「気の毒だという気持ちが折伏の根本である」 と戸田先生は言われていた。 慈悲が根本だということです。
 ………
 その意味で、仏はまさに対話の名人です。 釈尊も大聖人も、お会いするだけでうれしくなり、心が温(あたた)かくなるような人格であられたにちがいない。 だからこそ人々は仏の言葉を喜んで聞いていったのではないだろうか。
 (同書2巻・242~243P)

 ここのところで、佐藤氏は 「宿命を使命に変える」 ということを、ご自身の体験をもとに語られています。
 佐藤  私が在 ロシア日本大使館に勤務していたころ、池田会長と ゴルバチョフ・ソ連大統領(当時)の初会見が行われました。 一九九〇年七月二七日のことですね。 その二日前に、櫻内義雄・衆院議長(当時)が ゴルバチョフ氏と会見し、その場で早期訪日を要請する予定だったのですが、櫻内氏が北方領土問題に触れたことで ゴルバチョフ氏は激怒し、会見は大失敗に終わりました。 あせった日本の外務省は、二日後に会見を控えていた池田会長に頼み込み、会見のなかで ゴルバチョフ氏から訪日の確約をとってもらったのです。
 
 ――  その確約どおり、ゴルバチョフ氏は翌年四月に訪日されたという、よく知られた話ですね。

 佐藤  今では知られた話ですが、実は私がいろんなところで書いたり話したりしなければ、歴史のはざまに埋もれていた秘話だったのです。 というのも、外務省の失態を民間人に救われたという話ですから、外務省としては表に出したくなくて、公文書にもこの話は載せなかったからです。 また私も、そのまま外交官のままだったとしたら、口外しなかったでしょう。
 この出来事は、池田会長の数多い偉業のうちのたった一つではありますが、それでも世に知らしめることができた意義は非常に大きいと思います。 ある意味で、私はそのために獄に入ったのかもしれません。 池田・ゴルバチョフ会談の真実を世に知らしめるという 「使命」 のために……。 獄につながれたのが私の宿命だったとしたら、その後に創価学会の人たちと広くご縁ができたことで、私はその宿命を使命に変えることができたのです。 そんなことを考えながら、「法師品」 の章を感慨深く読みました。


 ゴルバチョフ氏が初来日し、日ソ友好が促進できたことは、まぎれもなく池田先生の功績である。 外務省は自らが頼み込んでおきながら、沽券(こけん)に関わるとして、池田・ゴルバチョフ会談そのものを無きものにせんとして、公文書には載せてないとのことである。
 その後、佐藤氏は2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、09年6月執行猶予付有罪が確定した。 この間、500日余りの未決の拘留は、この種の容疑としては長すぎるように思う。
 池田・ゴルバチョフ会談で、先生を身近で見聞きすることができた縁で、先生の偉大さを知り、創価学会と法華経を学ぶことができたのではないかと思います。
 それによって、入獄という 「宿命」 を、学会の正義を世に知らしめるという 「使命」 に変えることができた と述懐されています。
 法華経の 「願兼於業」 という法理を、身で読むということは、大変難しいことです。
 この使命感をもって、『新・人間革命』 30巻完結の栄光の年、ますますお元気で活躍されますことを、お祈りいたします。

テーマ : 法華経の智慧
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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