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等覚一転名字妙覚(1)

 4月度の NHK・ Eテレ の 「100 分 de 名著」 の第 4週に、作家の 安部龍太郎氏が出演されました。
 安部龍太郎氏は、歴史小説 『等伯』 を執筆され、第148回 直木賞を受賞されました。 「等伯」 とは、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師の “長谷川 等伯” のことで、代表作に 「松林図屏風」(国宝) がある。

 安部氏は、法華宗の信徒であった 等伯の命をかけた 「松林図屏風」 を画く胸中についての描写は、どうしても “法華経” を学ばなければならないと痛感され、紹介された方が 植木氏であった。
 渋谷の蕎麦屋さんで、4時間ぐらい話し合ったそうで、「覚り」 に到る心境について質問したところ、「等覚一転名字妙覚」 ということを教えてもらった。
 その意味を聞いた瞬間、「あ これだと言うことが、頭に浮かび、もうそのシーンが全てできあがった」 と語られている。 さすがに一流の人物は違うなぁ と思った。

 「等覚一転名字妙覚」 のこと。 妙覚とは、究極の覚りということです。等覚とは、それにほぼ等しい一歩手前の情況である。スタートラインの名字即 〔妙法の理を文字や言葉(名字)で知ったぐらいの初信〕 から、妙覚を目指して修行するが、しかしその延長線上には妙覚はない。実は、究極の覚りは自分の足下にあるという意味である。
 安部氏も 「自分を良く見せようと思っているかぎり、駄目である。そういう意識を捨てたところに、本当の自分が立ち上がる」 と、また、「松林図屏風」 は、「絵を超えた作品、曼荼羅に近い」 と語られている。

 植木氏は 「等覚一転・名字妙覚」 という言葉は、釈尊在世において法華経寿量品を聞いて得脱した人たちの成仏の仕方を言ったのであり、我々、末法の衆生が 「等覚一転・名字妙覚」 によって成仏するのではありません。 この言葉で言おうとしたことは、釈尊在世の衆生が、文上・脱益の仏法を聞いて成仏したように見えるけれども、実は彼らもやはり 「久遠名字の妙法」 を信受することによって成仏していたのだ、ということだったわけです。 この点を見失って、我々も 「初住乃至等覚」 「等覚一転・名字妙覚」 という経過を経なければならないというようなことを言ったら、大聖人の仏法を釈迦仏法と同じにしてしまうことになります。 この点、これまでの解説書では間違っていますので注意してください、と述べられ注意を促がしています。 (「三重秘伝抄」論考・351P)

 日蓮大聖人の仏法は、名字妙覚と言われますように、名字即の凡夫の身を離れて成仏はないということです。すなわち、“久遠名字の妙法・南無妙法蓮華経” を信じて、速疾頓成(そくしつとんじょう)といって直ちに即身成仏できるのであります。 

テーマ : 法華経
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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