大乗非仏説論

 「大乗非仏説論」 と言うものがある。法華経等の大乗経典は、釈尊の説いたものではないと言うのである。では、どなたが説いたかと問えば、ハッキリ言えないのである。

 所詮、だれが説こうとも、最高の法華経を説いた人が仏様なのである。釈尊が説いたから法華経が偉大なのではなく、法華経を説いたから釈尊は偉大な仏様なのである。

 『小説・人間革命』 に、ある東大生が戸田先生に、“大学に印度哲学科があって、仏教を講義していますが、あれも勉強した方がよいのでしょうか” と質問をした ことが記されています。
 戸田先生は 「君、あれは ロンドン仏教だよ。根本仏教などと称しているが、じつはせいぜい小乗仏教でとまっているのです。 非常に偏頗な釈迦仏法になっているね。… 中略」

 「イギリスという国は、インド三百年の統治経営の必要から、インドの文化全般についてじつに根気よく研究した。…… 仏教の研究もやったが、これは古代 インドの仏蹟や、石碑や、文献などを手がかりにしたもので、現在わずかに残っている セイロンなどの小乗教に囚われて、それを仏教の全体と想いこんでしまった。 実証主義の悲劇です。 小乗教だけしか仏教と認めず、その後の大乗仏教は仏説に非ずとして、大乗非仏説論を唱えて平然としているのです。…… 中略」

 「…… このような仏法三千年の歴史の流れを、ヨーロッパの仏教学者は、仏蹟や文献に囚われてしまって、もっと ダイナミックに展開しょうとしない。
 これが イギリスを中心とする仏教学者の仏教観といってよい。 小乗教のみを仏説とする根本仏教は、ロンドンで確立をみたわけで、そこへ西洋崇拝の日本の学者などが留学して、イギリスの学者から仏教を学ぶという珍現象になってしまった。 それをまた、帰ってきた学者が、大学で得意になって講義するという始末だ。 だから東大仏教は、残念ながら要するに ロンドン仏教で話にならないと言わざるをえないのです」
 (文庫人間革命8巻・180P)

 以上のように、小乗教しか流布していないインドで、考古学的・物的証拠をいくら積み上げて研究しても、所詮仏教のことは、信心のない者には何も解からないのである。

 彼らは、仏と言えば生身の釈尊しか、いないと思い込んでいるようです。大乗仏教の興隆は、釈尊入滅後・数百年の年月が経っております。ゆえに、どうして釈尊が説くことが出来るのかと疑っているのでしょう。

 当時インドでは、大切な教えは文字に書き留めるのではなく、暗誦し、口承として伝えられたと言われている。そして多くの経典の冒頭には 「如是我聞(是の如きを、我聞きき)」 とあり、自分の勝手な自説を、釈尊の名で発表するようなことは無いのである。

 そして当時、正統を自認していた小乗部派仏教教団が閉鎖的・権威的になり、仏教の精神を忘れ、民衆から遊離した。その中で、釈尊の真意を探求し、民衆を救済し、人間釈尊に直結しょうとする信仰が、在家の人々を中心に興ります。それが大乗仏教運動となって、法華経などの大乗経典が編纂されたと言われています。

 釈尊の真意を正しく説き明かした法華経は、鳩摩羅什によって漢訳され、中国へ伝えられました。中国では、天台大師によって 「理の一念三千論」 として理論面を極め、日本では、伝教大師によって 「迹門の大乗戒壇」 が建立されました。

 釈尊が法華経・如来神力品で、この法を 「四句の要法」 に結し、上行菩薩に付属された大法は、末法の教主・日蓮大聖人が、法華経の文の底より取り出されて、「妙法五字の宝珠(御本尊)」 として我ら衆生に授けて下さいました。

 それから760年、日蓮大聖人の真意は、今や創価学会にしかありません。正しき仏法を求め成仏を願う者は、創価学会に来りて池田大作先生に、教えを乞うべきであると主張するものである。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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