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「希望の源泉」(25)(反逆の提婆達多)

 「希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第25回は、「悪と戦い続けてこそ仏」 という思想 であります。今回は 「提婆達多品」 の前半で説かれる 「悪人成仏」 についての章です。  (第三文明・2018/8月・53P)

 法華経は悪をどう捉えているか?
 提婆達多とは、インドの斛飯王(こくぼんおう)の王子で、釈尊の従弟(いとこ)にあたる。 はじめ釈尊の弟子となりながら、退転して新教団を作り、釈尊の殺害をはかるなど三逆罪(破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)を犯した。 立っていた大地が裂け、現身に阿鼻地獄に堕ちたという。
 提婆達多品第十二では、提婆達多は阿私仙人という、釈尊の因位の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来となる記別を与えられている。 これは竜女の女人成仏と並んで、悪人成仏をあらわしている。

 佐藤 優  法華経の 「善悪論」が展開される パートなのですね。 この章の冒頭近くで池田会長が次のように発言されていることに、私は強い印象を受けました。
 「『仏法は勝負』 です。 『限りなき闘争』 です。
 『善と悪』 『法性と無明』 『幸福と不幸』 『平和と戦争』 『建設と破壊』 『調和と混乱』。 それらの永遠の闘争が、人生と社会の実相です。 否、宇宙の実相なのです。 だから戦うしかない。 だから勝つしかない。 仏の別名は 『勝者』 というのです」
 (法華経の智慧3巻・82P)
 これは、実に創価学会らしい捉え方だと思いました。 仏教といえば一般に静的な諦観という イメージがあるのに対し、非常に動的で ダイナミックな存在として仏を捉えている。

 創価学会では、「人生は闘争」 である。 「仏法は勝負」 であるという言葉は、よく用いられています。
 先生はそれらの闘争が、“人生と社会の実相です。 否、宇宙の実相なのです。 だから戦うしかない。 だから勝つしかない” と指導されています。
 対談者は、この言葉の背景には、“生命のなかには仏も魔もあるから、常に仏の側が勝っていなければ魔に負けてしまう” という捉え方がある、と語っている。
 御金言には、「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190P) と訓戒されています。
 
 佐藤  仏とは 「魔との闘争に勝利した者」 なのでしょう。 さらに、“一度勝ったものは永遠に仏であり続ける” という固定的な成仏観ではなく、仏と魔、善と悪が常に心のなかでせめぎ合っていると捉えるわけですね。 魔と闘い続けることのなかに仏の生命があるという、“生成的な成仏観” とでも言いましょうか。
 ………
 この章にも、池田会長の象徴的な発言がありますね。

 「『善人』 とは 『悪と戦っていっる人』 です。外の悪と戦うことによって、自分の内なる悪を浄化している人のことです。 この軌道が人間革命の軌道です」 (同書3巻・94P)
 「悪との 『限りなき闘争』 こそ、提婆品を貫く魂(たましい)なのです」 (同書3巻・95P)
 これらの言葉はまさに、“闘い続けてこそ仏になれる” という成仏観を示していると言えそうです。

 池田先生は、“法華経の一念三千は、究極の内省の哲学です” と。 提婆達多は、“それは彼自身が自分との戦いをやめていたからでしょう。 「内なる悪」 を自覚し、その克服に努力しなければ、とたんに悪に染まってしまう” と述べられている。
 “極善の仏にも、悪の生命が具わり、極悪の提婆にも、仏の生命が具わると見る。 その上で、「悪との戦い」 を続けているか 否かによって、現実は、善と悪の軌道に、遠く正反対に分かれてしまう。 そして、じつは、この一点に、提婆達多品を読む カギがある” と申しています。
 まさに、“極悪と戦い続けている人こそ 「仏」” なのであります。
 
 提婆達多から考える 「退転者」 の共通項
 佐藤  「提婆達多品」 前半の直接の テーマは 「悪人成仏」 ですが、現代の学会員の皆さんがこの品を学ぶ意義は、もう一つあると思います。 それは、退転者や反逆者持つ傾向性を、提婆達多の姿を通じて知るということです。 それを知ることで、退転者・反逆者に影響されて信仰が揺らいでしまうのを防ぐことができます。
 ………
 同じ退転するにしても、独(ひと)り静かに去っていく人もいれば、多くの信者を巻き込んで 「分派活動」 を展開する人もいます。 また、組織内に身を置いたまま オルグ活動(勧誘活動)を行い、自らの影響力を強めて “組織内組織” をつくっていく人もいるでしょう。 そのなかで特に問題になるのは多くの信者を巻き込んでいく ケースです。 そういうタイプの退転者は、往々にして言葉巧みで、オルガナイザー(工作者・組織者)として優秀なのです。 だからこそ、組織を破壊する脅威(きょうい)にもなり得る。
 この章のなかで池田会長は、
「悪人は、絶対に 『自分は悪人です』 という顔はしない(笑い)。悪知恵(わるぢえ)というか、奸智(かんち)です」 (同書3巻・92P) と述べています。 
 この言葉のとおり、オルガナイザー型の退転者は奸智に長(た)けており、「私こそが池田先生の教えを正しく受け継いでいる真の弟子だ」 などと主張するでしょう。 その奸智を見破っていく賢明さが、学会員の皆さんには求められているのです。 そういう輩(やから)が学会内部から現れたとき、その人が自ら主張するとおり 「池田先生の真の弟子」 なのか、それとも “提婆達多” になってしまっているのかを、見極めないといけない。


 「提婆達多になってしまっているのか 否か」 を見極める基準線は、どういうところにあるか との問いに。
 佐藤  創価学会の場合はやはり、「会憲」 にも定められた三代会長の位置づけが、一つの メルクマール(指標)となるように思います。
 「会憲」 では、三代会長を 「広宣流布の永遠の師匠」 としています。 そこから逸脱して、…… 三代会長の位置づけを我見でゆがめている人は、どんなに立派なことを言っていても 「提婆達多になってしまっている」 と言えるのではないでしょうか。


 仏法に 「法体と修行」 というものがある。 法体は不変であるが、修行は時代や環境など、その時の状況によって変化するものである。
 退転者や反逆者たちは、この理法がわからず、大聖人や戸田先生などの言説をもとにして、今の先生の指導や学会執行部は、逸脱しているとか、間違っているとか言っている。

 創価学会は初代牧口会長以来、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提・広令流布と一切衆生救済のために、広宣流布に邁進する唯一の団体である。 今日まで、この広布大願の精神は、毛筋ほども変わってない。
 弘安二年の御本尊についても、参拝もできないから 「受持の対象にはいたしません」 と言っているだけで、この御本尊が、間違っているとか 言って否定しているのではない。 それどころか、学会授与の御本尊は、はじめの頃から今日まで、日寛上人ご書写の御本尊である。 これも何一つ変わってない。
 ただ、勤行は五座の読誦から、方便・自我偈のみになった。 これは修行の分であり、世界広布の時代では、変わって然るべき処置である。

 大聖人の御精神を真っすぐに実践しているのは、創価学会のみである。 その根本のところを直視しないで、枝葉末節の部分の違いを ネタに誹謗中傷することは、まさに、「我賢しと思はん僻人等(びゃくにんら)が念仏者よりも久く 阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」(960P) の者たちである。 

テーマ : 法華経の智慧
ジャンル : 学問・文化・芸術

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猛暑・大雨に注意を

こんにちは、お変わりありませんか?
私が子供の頃の提婆達多は、「三逆罪を犯し阿鼻地獄におちた悪人」と記憶していて、「悪人成仏」の言葉は知っていても、その後の姿はあまり記憶に残っていませんでした。池田先生の指導も佐藤氏の分析も、谷先生の解釈も素晴らしいなぁと。
今回姉家族が両親との同居にあたり、泣く泣く古い書籍も処分しましたが、昭和30年代の池田先生の指導と何にも変わってないなぁとしみじみ感じました。謙虚に素直に...どんな闘いも頑張りたいと思います。
台風がそちらに向かっているようです。猛暑にもお気を付けください。

Re: 猛暑・大雨に注意を

 今までにない、猛暑や豪雨が続き、台風まで逆向きに向かい、何か世の中、おかしくなってきているのではないかと思います。
 そんな中、お蔭さまで変わりなく過ごしております。いつもご配慮いただき有り難うございます。

 世界広布が益々進展すれば、提婆達多も忙しく働くでしょう。
 現に、元学会本部職員が退転して、反逆のキバを剥いているそうです。
 いま、提婆達多品を学ぶことで、退転者から影響されないように、会員さんたちの激励に励みましょう。

 お父さんお母さんを大切に、まだまだ、猛暑が続きます。くれぐれも、お体に気を付けてください。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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