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「希望の源泉」(26)(衆生の救済こそ究極の善)

 「希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第26回は、「衆生の救済こそ究極の善」 という思想 であります。今回も 「提婆達多品」 の前半で説かれる 「悪人成仏」 についての章の続きです。  (第三文明・2018/8月・53P)

 「知識・技術そのものに善悪はない
 佐藤 優  この章は、「悪とは何か?」 という哲学・思想上の大テーマを考えるうえでも、示唆に富む内容ですね。
 たとえば、池田会長の
「知識は善人をいっそう善人にし、悪人をいっそう悪くするものです」 (法華経の智慧3巻・88P) という発言があります。 これなどは、知識や科学技術と善悪の関係を論ずるときに引用したくなるような、実に鋭い フレーズだと思います。 ……
 最先端の科学技術を、多くの人を救うために用いることもできれば、大量殺人に用いることもできます。 このように、知識も科学技術も本来は価値中立的で、そこに善も悪もありません。 それを用いる人の心・一念によって、善悪が決まる。

 
 対談者は、“釈尊の教団を攪乱(かくらん)した提婆達多のような悪人は、古今東西、どの宗教の内部にも必ず出現するということだと思います” と語られている。

 佐藤  ところで、「知識と悪」 「技術と悪」 について考えてみると、文系よりも理系のほうに、知識や技術の悪用に走りやすいという傾向性が見られると思います。 理系の学問の多くは、リッカード(ドイツの哲学者)が言うところの 「法則定立的」 な研究――すなわち “実践が可能で、そこから法則を導き出す形の研究をする学問” です。 だからこそ、そこでは理性が研究の基準になり、「理性ですべてが割り切れる」 「ロジック(論理)は万能である」 という、理性に対する過信に陥(おちい)りがちなのです。 そこに、知識や科学技術の悪用という “暴走” が起こる素地(そじ)もある。

 先月(7月)、オウムの死刑囚の刑が執行された。 毒ガス・サリンをまき散らし、人びとを恐怖の底に突き落とし、日常社会生活の破壊を企てた。 宗教団体と名乗りながら、このような極悪非道なることが、よくも出来るものだと慨嘆するものである。
 オウムの実行犯の幹部たちは、みな高学歴の上、その殆んどが理系の出身であるとのことである。 佐藤氏の上記の説明で、訳がよく分かりました。
 日蓮大聖人は、「恵能(よ)く惑を破し理を顕す・理は惑を破すこと能(あた)わず、理若し惑を破せば一切衆生・悉く理性を具す 何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則(すなわ)ち能く惑を破す 故に智を用(も)つて乗体と為す」(689P) と仰せです。 唱題で生ずる智で煩悩を破し、仏性を現わすゆえに、智(唱題)を乗体(教え・修行の基本)とするのである。
 この事件があって、“宗教はどれも同じことを説いてる” なんて言う人はいないであろうと思う。 世の中の宗教には、善悪・邪正の違いがあるのである。 これを糺(ただ)して、正しい宗教を求めなければならないのであります。

 善と悪とは 「関係性」 である
 佐藤  池田会長の次の言葉にも、私は強い印象を受けました。
 「孔子や イエス・キリストや マホメット(ムハンマド)が、もし釈尊に会ったら背(そむ)くことはないだろう、とも牧口先生は言われていた。 なぜならば 『彼らはただ等しく自己を空(むな)しうして、衆生を救済しようとするに余念がないからであって、エゴイストではないからである』 と。
 牧口先生は、衆生の救済に究極の善を見ておられたようだ。 反対に、自分の利害だけを考える エゴイズムは悪の根源です」
 (法華経の智慧3巻・98P)
 ここには、創価学会の考える善悪の基準が定義されています。 「衆生の救済」 こそ究極の善である。 また、「衆生の救済」 という共通の大目的に立つ他宗教とは連帯できる、と……。

 牧口先生は、“「衆生の救済」 こそ究極の善である” と唱えられ、大善生活を提唱された。 法華経は一切衆生を成仏へ導く教典である。 ゆえに、法華経を “我も唱へ他をも勧めんのみこそ” 究極の善であり、大善生活です。 まさに、世界広布を目指す 「学会活動」 のことであります。

 善悪は 「関係性」 というもう一つの善悪論について、
 佐藤  池田会長が、次のように説明されている部分ですね。
 「たとえば、『瞋恚(しんに)は善悪に通ずる者なり』(584P) と大聖人は言われている。 悪への正義の怒りは善。 エゴの怒りは悪。 怒りそのものが善いとか悪いとかは言えません。 善悪は 『関係性』 です。 だからこそ、積極的に 『善の関係』 を創っていくことです」 (同書3巻・108P)
 この 「善悪は 『関係性』」 という考え方の前提にあるのは、仏法の 「縁起」 の思想でしょうね。 森羅万象は相互に関係し合って成り立っているから、何らかの 「縁」 に触れて善悪の心も生じてくる、ということです。

 善と悪とは 「実体」 ではない。 どこまでも 「関係性」 である。
 たとえば、極楽寺良寛は、当時の民衆から 「生き仏」 と崇められていたが、大聖人という 「縁」 に触れて、嫉妬や恐怖に駆られて、大聖人を迫害するという極悪人になった。
 牧口先生は、「善人でも大善に反対すれば直ちに大悪に陥(おちい)り、悪人でも大悪に反対すれば忽(たちま)ちに大善になる」 と言われています。

 「偏狭さ」 とのぎりぎりの闘い
 この項目のなかで、佐藤氏は国家神道について語っていますので引用いたします。
 世界192ヵ国・地域に SGI が広がっていることは、創価学会の寛容さの表れでもあるが、そこで難しいのは神道との付き合い方です。
 佐藤  創価学会は国家神道から弾圧されたにもかかわらず、今は神道とも上手に共存しています。 ただ、あまりにも神道に対して寛容でありすぎると、そこに危(あや)うさもあります。 「神道は慣習であって宗教ではない」 などと言い出して、国家神道復活を目論む勢力も、少しずつ力を蓄えてきているからです。 そこに対する警戒の念を、創価学会・公明党は常に厳しく持たなければいけないと思います。 国家神道自体が、一つの宗教を国民に強要するという偏狭な ナショナリズムそのものであり、まぎれもない悪だったのですから……。
 そのうえで内なる偏狭さを排していかなければならないという、ぎりぎりの闘いがそこにはあるのです。


 この 「国家神道」 の問題を、佐藤氏は憂慮されており、既に、このシリーズで語られていますので、ご参照ください。
   「希望の源泉」(11) ―→ ここから ここから

テーマ : 法華経の智慧
ジャンル : 学問・文化・芸術

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夏期講習

創大の夏期講習に参加しています。八王子は暑い☀️暑い💦暑い😵それでも案内役の方々の爽やかな声掛けに、暑さも吹っ飛びます。参加されてるといいなぁと思いましたが、いくら日本の南に住んでいらしても、この暑さではキビシイですね。菅野先生の講義、楽しんで勉強してきます。

Re: 夏期講習

 お便り有り難うございます。
 創大の夏期講習にご参加されていますとのこと、真におめでとうございます。

 小生この夏、7月中旬から8月上旬の猛暑をかんがみて、大事を取って参加しませんでした。
 菅野先生の「法華経」の中心思想の講義は、学問的で学会の御書講義とは、また、違った趣があると思います。
 大学講座も、夏季の大掛かりなものでなくて小規模なものでも、春休みに有ったらいいなと思いました。
 
 これからもお体に気を付けて、ますますのご活躍をお祈り申し上げます。
 お父様・お母さまを大切に、よろしくお願いいたします。
プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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