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「新・人間革命」第18巻〔獅子吼の章〕(映画・人間革命)

 「九月八日」、小説 『人間革命』 全30巻が、ついに連載完結を迎えました。
 池田先生は、第1巻 〔はじめに〕 の章で “『新・人間革命』 は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるにちがいない” との思いを述べられています。 先生が命を削る思いで続けてこられた 「ペンの大闘争」 に、心から感謝の意を捧げるものです。 誠に有り難うございました。

 原田会長は、“『人間革命』 『新・人間革命』 は、広宣流布の歴史を通して 「学会精神」 を刻み残した 「信心の教科書」 です。 一人一人が、山本伸一の分身たる思いで進むことが、“人間革命” の 「精読」 であり、「実践」 となります。 ……
 新たな人間革命の歴史を開く戦いを開始して、師恩に報いる弟子の道を貫こうではありまえんか”
 (2018・9/8・聖教1面) と指導されています。

 〔獅子吼〕
 「師」 という原点をもつ人は強い。
 原点を忘れるな。
 原点を忘れなければ、人間は、進むべき信念の軌道を見失うことはないからだ。

 山本伸一は、一九七三年(昭和四十八年)の七月七日午後、東京・世田谷区にある東宝スタジオの試写室で、スクリーンに目を凝(こ)らしていた。 彼の小説 『人間革命』 が遂に映画化され、その完成試写会が行われたのである。
 (新・人間革命18巻・7P)

 映画化の話は原作を読み感動した、東宝映像社長で著名な プロデューサーである・田中友幸氏からのたっての要請であった。
 脚本・橋本忍、 監督・舛田利雄、 俳優・丹波哲郎・新珠三千代・仲代達矢 等々の豪華キャストで、東宝全社の総力をあげた作品は、記録的な大ヒットとなったのである。
 試写が終わって、作品の出来ばえを尋ねられた先生は、「感動的な力作です。 師弟の心の交流、また、人間の精神の世界がよく表現されています。 PR 映画のようなものではなく、感動できる芸術作品になっていると思います。
 ともかく、内面世界の昇華を映像化していく作業ですから、大変なご苦労ががあったことでしょう。 スタッフの皆様に、くれぐれもよろしくお伝えください」
と感謝の意を述べられています。 (同書18巻・31P)

 私は45年前、この映画を見ましたが、今ではほとんど記憶に残っていません。 そこで “YouTube” で検索して見ましたらありました。
 映画は一・二部を合わせて、2時間40分の大作である。 第一部は、戸田先生の “獄中の悟達” が中心で圧巻である。 
 第二部は、地獄、餓鬼、畜生……などの十界論が、一貫した テーマとなっている。 私は十界論が説かれていたことは、完全に忘れていました。
 何故だろうかと自分なりに考えてみたところ、浅学なる故か 十界の名目ぐらいしか知らず、映画では十界論かと軽く聞き流したのでしょう。 感動もなかったので、記憶に留めることができなかったと思います。
 今回 視聴してみて、十界論は解かりやすく互具論まで丁寧に説明されており、観客に 「人間革命」 という命題を理解させることができたと思います。 それだけに特に、脚本家・橋本忍氏のご苦労が偲ばれるのである。
 この作品を、見てない方はもちろん、見ている方も再度のご視聴をお願いいたします。
 
 そのころ先生は、聖教新聞社を足繁く訪れていた。 「言論・出版問題」以降、一部の記者の間に、安易に社会に迎合し、信仰の世界を見下すような風潮が生じていたのである。 新聞社の記者・職員たちに、“広布の使命に生き抜け” と訴えられた。
 そのような者たちは、いわゆる苦労知らずであり、確たる信仰体験に乏しかった。 この点について、次のように述べられています。
 揺(ゆ)るがざる確信は、体験によって培(つちか)われる。 では、どうすれば、信仰体験は積めるのか。
 それには、仕事や人間関係、健康の問題等々、自分の悩みを克服し、希望を叶えることをめざして、真剣に唱題し、一つ一つの学会活動に全力で取り組んでいくことである。
 “仏法の偉大さを実証するために、この就職を勝ち取らせてください” “広宣流布のために自在に活動できるように、この病を克服させてください” 等と、懸命に祈り、戦い抜いていくのだ。 そうすれば、必ず、結果は出る。
 ………
 困難な状況のなかで、唱題を根本に自身の限界に挑(いど)んで必死に戦い、目標を達成していくならば、「歓喜の中の大歓喜なり」(788P) があふれ、信心への確信が深まる。
 その体験を積み重ねていくなかで、いかなる非難中傷や弾圧の嵐にも屈しない、富士のごとき確固不動な、堂々たる信仰が培われていくのだ。
 まさに、広宣流布へ進みゆく学会活動こそ、自身の心を強くし、体験をつかむ、生命鍛錬の道場なのである。
 (同書18巻・44P)

 先生は、“確信は体験によってつかむ以外にない” と、すなわち、自らが実践・修行しなければならないのである。 
 初信者のなかには、功徳論ばかり聞いていて、“入会しても 少しも良いことはない、悪いことばかりだ” と。 御本尊や学会が何かしてくれるだろうと、勘違いしている人もいるようです。 苦難を克服してはじめて、功徳・宿命転換もあるのである。 罰即利益です。
 大聖人は、「難来るを以て安楽と意得可きなり」(750P) ・ 「必ず三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」(1091P) と仰せです。
 折伏は 成果に焦ることなく、謗法や宿業などについては、よく話をしてあげ 当人が納得したうえで、入会に導きましょう。

 また、当然、創価学会の運営は民主的であらねばならない、…… しかし、信仰の根本問題は、合議や社会的な評価のいかんによって左右されるものではない。
 たとえば、南無妙法蓮華経は最高の法であることを、仮に万人が否定しょうとも、その邪見には、絶対に従うわけにはいかないのだ。
 仏法の師弟についても基準とすべきは、社会の モノサシ ではない。
 (同書18巻・46P)

 たとえば、日蓮大聖人が、幕府の罪人として流罪された時でも、法華経の信念のうえから大聖人に随い、守り抜かれた。
 また、戸田先生は、世間から 「非国民」 と非難されようが、牧口先生の “神札は絶対に受けません” との信念に随い、逮捕・投獄された。 その結果、「獄中の悟達」 という大功徳を受け、今日の “世界広布新時代” を迎えることができたのである。

 多数決による物事の決定を金科玉条とし、「民主的」 というなら、信仰の世界は、その枠に収まり切るものではない。 また、時代の風潮や大勢(たいせい)を占める見解を 「社会性」 というならば、それを絶対視することは、大きな誤りを犯すことになりかねない。
 しかし、そうした尺度で学会を推(お)し量(はか)り、また学会の真実も、日蓮仏法の本義も知らぬ評論家の批評を真(ま)に受け、したり顔で学会批判をする記者もいたのだ。
 信仰の世界にあって、確信の喪失(そうしつ)は魂の喪失を意味する。
 (同書18巻・47P)

 “時代の風潮や大勢を占める見解を 「社会性」 というならば” と、それは世俗的な価値にとらわれ、現世の享楽を説く 「順世外道」 に堕することになる。 先生はそのような 「社会性」 という言語を、“絶対視することは、大きな誤りを犯すことになりかねない” と言われています。
 この頃は、文化・伝統行事と言って、地域の祭り行事等に参加しているようですが、多発する世間の天変地夭の災害を考えるとき、それらを無定見的に絶対視することなく、根底に 「立正安国の精神」 は堅持していきたいと思います。

テーマ : 創価学会
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 82歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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