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「希望の源泉」(29)(竜女成仏 と 人権宣言)

 「希望源泉」(池田思想を読み解く) の第 29 回は、竜女の成仏は、高らかな 「人権宣言」〕 であります。 今回も 「提婆達多品」 の章の続きです。  (第三文明・2018/12月・53P)

 方便としての 「変成男子」
 「提婆達多品」 で竜女の成仏が 「変成男子(へんじょうなんし)」(一度男性に変身したうえで、成仏の証拠を見せる)の形で描かれていることから、フェミニスト(女性解放論者)たちの “仏教は女性差別の宗教である” という批判に対して、先生は次のように述べられています。
 「いや、それは違う。 竜女の成仏は、あくまでも 『即身成仏』 です。 女性の身のままで成仏したのです。 変成男子は、舎利弗をはじめ、成仏は男性に限られると思い込んでいた人々に対して、竜女が成仏したことを、分かりやすく示すための方便にすぎないでしょう。 男性にならなければ成仏できないという意味ではないのです。
 そのことは、一番初めに文殊菩薩が竜女のことを紹介するくだりで、すでに明確です。 竜女がすでに成仏していると文殊菩薩は語っているのです」
 (法華経の智慧3巻・125P)

 佐藤 優  非常に明快ですね。 この章にも紹介されているとおり、釈尊の教団には女性の出家修行者もたくさんいました。 これは画期的なことでした。 釈尊以前の バラモン教では、出家は男性のみに限られていたからです。 女性出家者を認めていたことそれ自体、釈尊が 「女性は成仏できない」 などとは考えていなかった証左と言えます。
 「生まれによって賤(いや)しい人となるのではない。 生まれによって バラモンとなるのではない。 行為によって賤しい人ともなり、行為によって バラモンともなる」 (『ブッタのことば――スッタニパータ』 中村元訳、岩波文庫) という有名な言葉がある。 釈尊は厳しい差別社会にありながら、身分や性別、出身、僧俗の違いなどは、まったく問題にしなかった。 (同書3巻・132~133P)
 とはいえ、当時の インド社会は極端な女性差別の社会でしたから、「竜女がその姿のままで成仏する」 と説いたら、多くの人が抵抗を感じたでしょう。 いったん男性になってから成仏するという 「変成男子」 は、その抵抗をやわらげ、受け入れやすくするためのいわば “クッション” でした。 そうした時代背景を無視して、「変成男子が説かれているから仏教は女性差別的だ」 というのは、底の浅い批判だと思います。

 法華経が成立した当時の時代背景を無視して 「仏典は女性差別的だ」 と論じても的外れである。
 釈尊の在世には、勝鬘(しょうまん)夫人ら女性出家者が男性出家者らに比して、勝るとも劣らない活躍をしているのである。
 日本でも(584年)、初めての出家者は 「善信尼」 という女性であったと言われている。
 日蓮大聖人は、「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」(1360P) また、「此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたり」(1134P) と仰せです。
 実に、大聖人は女性信徒に対して 「日妙聖人」 「光日上人」 と、 「聖人」 や 「上人」 の称号を与えられておられるのである。 この点についても、大聖人の男女の平等観は徹底されています。
 
 「社会への適応」 に潜む危険性
 ところで、差別社会に受け入れやすいように説かれた 「変成男子」 について、池田会長は次のように指摘しています。
 「ただ問題は、そういう 『社会への適応』 のなかで、宗教者自身が、次第に社会の差別意識にとらわれてしまう場合です。 それでは 『法』 は、ゆがめられてしまう」 (同書3巻・129P)
 つまり、本来は 「方便」 として説かれた 「変成男子」 が、多くの人に受け継がれていくうちに、女性差別として固定化されてしまう危険性の指摘です。 実際、仏教史のなかで、そのように教えがゆがめられた例も少なくなかったのです。

 佐藤  方便としての 「社会への適応」 が、いつしか釈尊の教えの本質をゆがめてしまうという、怖い話ですね。 そのことからの アナロジー(類推)で、私が一つ一つ危惧(きぐ)している点を述べます。 それは、創価学会/SGI 自体がある種の 「エリート集団」 になってしまうのではないかという危惧です。
 ………
 池田会長が創立された創価学園・関西創価学園も、偏差値から見ればいまや上位数%の難関校です。 学会本部職員は高学歴集団であるし、公明党の議員を見ても、弁護士・公認会計士・元外交官など エリート揃(ぞろ)いです。 もちろん、そのこと自体が悪いわけではありません。 ただ、そうした傾向が進んでいった先に、組織の官僚化が進み、民衆から離れていく危険性は常に意識しておくべきではないでしょうか。 もしも創価学会が 「庶民の団体」 であることを忘れてしまう方向に進んでしまったら、それは池田思想から ズレてしまうと思うのです。


 創価学会はかつて、“貧乏人と病人の集まり” と揶揄(やゆ)されましたが、いまや会員の中心は中産階級であり、職員や議員は高学歴の エリート集団である。
 佐藤氏は “そうした傾向が進んでいった先に、組織の官僚化が進み、民衆から離れていく危険性は常に意識しておくべきではないでしょうか” と、ご心配してくださっています。 そして、“たとえば、今の日本のキリスト教は、「中産階級・インテリ層のための宗教」 になってしまっている面が強い。 そうなると、社会の底辺でいちばん切実に救いを求めている人たちには、手が届きにくくなってしまう。 …… 民衆から遊離しかねない危険性もあるのです。 それは私が、日本のキリスト教の失敗をふまえて切実に感じる危惧なのです” と、語られ注意を促されています。
 そのためには、結党の時の先生の 「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」 との指針を片時も忘れず、大衆の中に飛び込んでいく以外にないと思います。
 
 「竜女成仏」 は 「女性的なるもの」 への讃歌
 佐藤  それから、この章の終盤で池田会長は次のように述べられています。
 「自らの尊貴さに目覚めた女性の連帯は、文明の質をも変えていくでしょう。 学会の婦人部・女子部の皆様は、その先覚者であり中核です」 (同書3巻・155P)
 この言葉に完全に同意します。 私は、本来的に女性は男性よりも精神が強靭(きょうじん)なのだと考えているからです。 そう考えるようになったのは、かつて 「鈴木宗男事件」 に連座して逮捕されたとき、外務省内の男の友人は誰一人私についてきてくれなかったのに、三人の女性外交官だけが私を助けてくれたことがきっかけです。 そして、獄中で国家というものが男権的で、とても暴力的なものであることをあらためて認識して、そこから フェミニズムの重要性に関心を持ち始めました。 
 ………
 また、この章の結論部分で、池田会長は次のように語られています。

 「畜身で女性で年少で ―― 一番、低く見られていた竜女が一番早く 『即身成仏』 した。 そこに意味がある。
 ともあれ、しいたげられた差別社会のなかで、竜女成仏は万感の思いを込めた 『人権宣言』 だったと言えるでしょう」
 (同書3巻・154P)
 フランス革命の 「人権宣言」(1789年) における 「人」 には、女性は含まれていませんでした。 それよりもはるかに先駆けた古代インドの法華経において、竜女成仏という形で女性を含めた 「人権宣言」 がなされていたことに、感銘を覚えました。

 フランス革命の 「人間と市民の権利宣言」 には、女性は含まれていなかった。 それに比べれば仏教は、約3000年前、釈尊の竜女成仏という形で 「男女平等宣言」 がなされました。
 日本においては、約800年前、日蓮大聖人は 「法華経の行者は男女悉(ことごと)く世尊に非ずや」(813P) と。
 「撰時抄」 に、「王地に生れたれば身をば随えられたてまつるやうなりとも心をば随えられたてまつるべからず」(287P) と仰せです。
 ユネスコが、「世界人権宣言」(1948年)の 20周年を記念し、古今東西の “人権への戦い” の言を集大成し、編纂(へんさん)した 『語録 人間の権利』 という書の中に 『撰時抄』 の御金言が収録されているのである。  
 どんな絶大な権力も精神までは縛れない。自由の叫びを抑えられない という心の底からの本源的な 「人権宣言」 である。
 今、世界の多くの人々は、大聖人の御生涯に亘る 「人類のための人権闘争」 を見ている。 そして、まさに 「人権宣言」 の偉大なる先駆者であると讃嘆し、崇敬しているのである。

テーマ : 法華経の智慧
ジャンル : 学問・文化・芸術

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プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 83歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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