法の正邪

 日蓮大聖人の 「四箇の格言」(念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊) について、少々述べて見ました。この四箇の格言に対して、独善的・排他的・非寛容的であるとかと言う批判が、古来からなされています。

 我々が仏法対話を致しましたとき、“人の家の宗教の悪口を言うな、自分が好んでやっているのだから干渉するな、信教は自由だ” 等々のことをよく言われます。しかし決して、独善的でも、排他的でもなく、むしろ理性的な批判であり、大聖人の慈悲と智慧の結晶なのであります。

 創価学会ほど、寛容的なところはありません。誰であろうと差別なく、この信仰を望む者は入会させています。今や、世界192ヶ国に “SGI” の友が、嬉々として信仰に励んでいる姿が、その証拠です。 

 仏法には 「人と法」 というものがあります。「人」 の寛容と 「法」 の寛容を分けて考えることなく、ごちゃ混ぜにして、何でも宗教には寛容の精神が大切であると思っているようです。人に対しては、どこまでも寛容でなければなりません。しかし、人の幸・不幸を左右する宗教の 「法の正邪」 に関しては、厳しく正して行かねばならないのである。創価学会を批判し、大聖人の御遺命たる広宣流布の破壊を企てる 「日顕宗」 のようなものは、断固破折を加えていくのは当然のことである。

 日蓮大聖人は、この世の中の 「不幸の原因は、みな邪宗邪義にある」 という趣旨のことを仰せられています。然れども、一般の方々は、宗教を信じて不幸になるなんて、信じられないし、夢にも思われないことである、と思っているようです。

 それはどの宗教でも、親に孝行・人には友情・信頼・慈愛を、全てのものに感謝など、すなわち、倫理・道徳を説いているから、別に悪いことでは無いし、宗教を信ずることは良いことである、と思っています。倫理・道徳を説くことが悪いのではありません。この様なことは宗教の一部分のことであって、宗教の本質的な役割は、人々を如何にして幸福にするかと言うことにあります。
 それには人間生命の解明が、絶対必要不可欠なのです。この 「生命の実相」 を説いているのが、法華経であり、日蓮大聖人の “南無妙法蓮華経” であります。

 法華経に云く 「若し人信ぜずして此の経を毀謗(きぼう)せば即ち一切世間の仏種を断ぜん、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」(29P) とあります。
 法華経は、一切衆生に悉く仏性が具わっていると説いています。この法華経を信ぜず・誹謗を為すものは、「仏種を断ぜん」(譬喩品) すなわち、幸福への道を自らが塞ぐことに成るのであります。

 このように、宗教の高低・浅深・邪正を見極めることは、各人の人生にとって非常に重要ことであります。したがって、次回から四箇の格言の四宗について、一宗ごと取り上げて見たいと思います。

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR