往生の空しさ

 浄土宗は、西方十万億土の極楽浄土に 「往生」 することを願っているが、この往生と我々が言うところの 「成仏」 との違いは何であるかと思いました。

 浄土宗の教えでは、我々の住むこの娑婆世界は永遠に苦悩に満ちた穢土であり、安楽な生活を送るためには娑婆世界を去って他の浄土へ生まれる以外にないとして、死んで阿弥陀仏の極楽浄土に生まれることを 「往生」 又は 「往生成仏」 と言っている。

 したがって、浄土宗では往生することが目的であり、これが一般的に、仏法で言うところの 「成仏」 であると思っているらしい。そうしますと、死ぬことが成仏すると言うことになります。これほど、仏法の成仏観を歪め、自らを外道の法へと貶めるものは無いと思います。

 そもそも、自分自身が生活をしているこの娑婆世界を、煩悩と苦しみが充満する穢れた国土とし、厭い離れようととする心からは、何一つ建設的・価値的なものは生まれません。そこには消極的な諦めの人生しかありません。

 わが国では、毎年毎年・三万余人の自殺者が出ているそうです。これは世界の先進諸国の中でも、断トツの多さであるとの事です。これも念仏の哀音が、広く日本国民の生命の中に宿っている故であると思います。

 日蓮大聖人は 「念仏宗と申すは亡国の悪法なり、…… 善導と申す愚癡の法師がひろ(弘)めはじめて自害をして候ゆえに・念仏をよくよく申せば自害の心出来し候ぞ」(1509P) と仰せられている通りです。

 しかも、阿弥陀仏の極楽浄土は何処にあるのかと問えば、大宇宙の何処を捜しても無いのである。そこへ 「往生」 しょうとしても、たとえ死後の世界であっても、何もないところへは往生のしょうがないのである。

 また、阿弥陀如来そのものも権仏(仮の仏) であり、釈尊が真実の法 (法華経) へ導くための手段・方便として説いた経や仏である。言ってみれば、全てが譬え話であり、実体のない架空の話であり、絵に描いた餅にしか過ぎないのである。如何に、念仏が、そして 「往生」 が空しいものであるか、お解かり頂けたと思います。

 『法華経寿量品』 には、「娑婆世界・説法教化」 と説かれており、この娑婆世界こそ、久遠の仏の常住する本国土であり、「娑婆即常寂光土」 の原理が示されました。

 また、一切衆生に悉く仏性があります。ゆえに、成仏とは 『御義口伝』に、「成は開く義なり、法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり」(753P) と仰せのように、自身の仏性を妙法の経力によって開き、凡身を改めること無く、直ちに仏果に至るという、直達正観の 「即身成仏」 が出来るのであります。

 日蓮大聖人の仏法では、「いま」・「ここ」 で、「わが身」 を離れて、成仏はあり得ないと言うことです。それは 「凡夫こそ本仏」 であることを宣言した、「人間主義の仏法」 なのであります。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

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世間の哀音は増すばかり

検索していたら、たまたま通りすがりました。色々勉強になりました。
ありがとうございます。
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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
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