真言亡国(台密)

 日蓮大聖人は、日本の天台法華宗が密教化したことについて、「叡山に座主始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同理勝の狂言(おうげん)を本として我が山の戒法をあなずり戯論(けろん)とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん、彼の摩黎山の瓦礫の土となり栴檀林の荊棘となるにも過ぎたるなるべし」(1023P) と述べられています。

 大聖人の諸宗の破折は佐渡以前では、念仏・禅宗などが主で、真言(東密)は少々でした。それは大聖人が、「所詮は万祈を抛つて諸宗を御前に召し合せ仏法の邪正を決し給え」(170P) と、『北条時宗への御状』 で申されたように、公場対決を望まれていました。
 しかし、「爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろう(披露)してかれらし(知)りなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり」(1489P) とあるような理由で、真言を強く破していませんでした。
 したがって、公場対決の望みがなくなった佐渡以後は、「而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頸をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489P) と仰せになり、『撰時抄』・『報恩抄』 等で天台密教を徹底的に破折されることにより、三大秘法を顕わされたのであります。

 “なぜ真言を強く破折する” のかと言いますと、念仏・禅などは当時の新興宗教であり、多くの民衆に信じられていたとはいえ、言わば個人的な信仰と言ってよく、それに対し長い間、鎮護国家の法として為政者から祈祷を依頼されていた真言密教の国家・社会に対する悪影響は、はなはだ重大なるものがあるのである。
 ゆえに、天台密教の邪義を破ることによって、法華経の正義を示されて末法の法華経の行者、即ち 「南無日蓮聖人」(287P) と仰せられましたように、『撰時抄』 にて 「御本仏のご内証」 を明かされたのであります。

 大聖人は、真言宗の中でも、善無畏や弘法などと比べて、慈覚の行為こそが最大の悪事であるとされています。
 『撰時抄』 に、「日本国にして真言宗を法華経に勝るると立つるをば叡山こそ強きかたきなりぬべかりつるに、慈覚をもつて三千人の口をふさぎなば真言宗はをもうごとし、されば東寺第一のかたうど(方人)慈覚大師にはすぐべからず」(279P) と仰せられています。
 
 伝教大師が、桓武天皇の御前で南都六宗の碩徳と公場対決し、六宗を破し法華経最第一の義を決した。六宗の碩徳は承伏の謝表を奉り、伝教大師に帰伏した。その結果、日本一州みな・僧は伝教の弟子となり、寺は叡山の末寺となったのである。

 そのような中で、弘法が法華経は大日経に比べて三重の劣であり、釈尊は無明の辺域であると、あからさまに下していても 「あまりの僻事(ひがごと)なれば弟子等も用ゆる事なし」(308P) という程度であった。

 しかし、慈覚・智証の天台法華宗が、法華経と大日経は「理」は同じであり、「事」においては印と真言があるから、大日経の方が勝れると云えば、叡山の座主自らが云うのだから 「皆人さもやと・をもう、かう(斯)・をもうゆへに事勝の印と真言につひて天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり」(309P) という有様であった。結局、僧侶たちは祈祷を生業として、金銭を儲けんが為に堕落したのである。
 「慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とが・ごとくなる・ゆへに智人も迷い愚人もあやまり候て此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州・皆謗法の者となりぬ」(309P) と仰せである。 

 ここに、法華経最第一とする叡山の天台宗が密教化したことの謗法罪は、弘法の東密よりも遥かに重いのである。
 特に、慈覚に対しては厳しく 「天台宗の慈覚・安然・慧心等は法華経・伝教大師の師子の身の中の三虫なり」(286P) と、安然・慧心を加えて“師子身中の虫”とまで断じておられます。
 
 大聖人は 「真言は亡国の悪法」(1073P) なりと定められた理由を簡潔に 「答う法華を誹謗する故なり云云、一義に云く三徳の釈尊に背く故なり云云、一義に云く現世安穏・後生善処の妙法蓮華経に背き奉る故に今生には亡国・後生には無間と云うなり」(167P) と破折されています。

 慈覚の理同事勝の邪義を、日寛上人が破した文がありますのでご参照ください。
 
 日寛上人の 『撰時抄愚記』 に、次のように記せられています。(文段集・290P)

 慈覚の釈の意は理同事勝と云云。
 難じて云く、既に真言三部の中に、開権顕実の妙理を説かず、故に二乗作仏の文義なし。この故にまた十界互具の理なし。故に真実の妙理に非ず。何ぞ理同といわんや 是一。

 また衆生の成仏は但十界互具の妙理に依る。若し印・真言は成仏の上の事用なり。若し十界互具の妙理に依って即身成仏せば、印・真言は自然に具足するなり。豈唖仏・中風仏あるべけんや。故にこれを説かずと雖も、理に於て妨げなし。若し説かざるに依って名ずけて事劣と為さば、大日経の中に世界建立等を説かず。若し爾(しか)らば阿含経に劣れるや 是二。 (世界建立とは、天地・生物の成立出生した由来をいう)

 況やまた真言教には印・真言を説くと雖も、久遠実成を説かざるや。何ぞ却って事勝といわんや 是三。

 況やまた伝教大師は法華を以て勝と為し、天台大師は法華を以て諸仏所証の本法と為せるをや。何ぞ本師に違背して却って事勝といわんや 是四。

 若し伝教未だ悉く習伝せず、天台の時には真言渡らずといわば、教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏は如何。三説超過、証明舌相云云 是五。

 都(すべ)て一代経の中に,真言は勝れ法華は劣るの文なし。故に慈覚大師は現罰を蒙り、或は疫病にて死せりという、下山抄の如し。或は御頭は出羽国立石寺にこれありという、太田抄の如し。

 『下山御消息』 には慈覚大師が、「此の疏(しょ)仏意に叶へりやいなやと祈せいせし処に夢に日輪を射ると云云、うちおどろきて吉夢なり真言勝れたる事疑なしとおもひて宣旨を申し下す日本国に弘通せんとし給いしがほどなく疫病やみて四ケ月と申せしかば跡もなくうせ給いぬ、…… 仏法の大科此れよりはじまる日本国亡国となるべき先兆なり」(353P) と。
 『慈覚大師事(太田抄)』 には、「慈覚大師の御はか(墓)は・いづれのところに有りと申す事きこへず候、世間に云う御頭(くび)は出羽の国・立石寺に有り云云、いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか」(1019P) とあります。

テーマ : 仏教・佛教
ジャンル : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
FC2ブログへようこそ!

北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会へ
にほんブログ村


仏教 ブログランキングへ

最新記事
カテゴリ
最新コメント
フリーエリア
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR