円信 (妙法の信)

 仏教においては、「生命」 は永遠であると説いている。仏教だけでなく他の宗教も、何らかのかたちで生命の永遠性は説いています。しかし、それらは死後の霊魂などの不滅を説く、「常見」 と言われる不完全な生命観である。

 『開目抄』 に、「本門十四品も涌出・寿量の二品を除いては皆始成を存せり、雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず」(198P) と述べられている。

 「法身の無始・無終はとけども」 と、法華以外の経は、三身(法身・報身・応身) の中の法身の無始無終は説いても、三身常住までは説いてなく、特に応身の無始無終は難信難解なのである。私かて解かりません。

 池田先生は 『生死一大事血脈抄講義』 において、「釈尊は、如来の生命が死後に続くのか、続かないのかと問われて、どちらとも答えなかったと伝えられています。どちらに答えても、相手を高めるための教えにはならず、むしろ死をめぐる迷いと苦しみを深める結果になりかねないからです」(同書12P) と述べられています。

 釈尊ほどの仏さまでも、この死後の問題は、なかなか説くことが出来なかったと言うことである。これは説く方よりも、教えを受ける方の資質・機根の問題ではないかと思う。

 『法華経譬喩品第三』 に、「汝舎利弗すら 尚此の経に於いては 信を以って入ることを得たり …… 仏語を信ずるが故に 此の経に随順す 己が智分に非ず」 とあります。あの智慧第一の舎利弗さえも、自分の頭では理解できず、信を以って慧に代え、成仏することができたのである。
 このように法華経は、釈尊の “随自意” の経であり、最上の真実で嘘のない経であるがゆえに、「信」 を強調するのである。

 日蓮大聖人は、女性門下の日女御前に対して、重要な御本尊の相貌(そうみょう)について、述べられた御書を送られています。したがって、お手紙の後半の部分には 「信」 の重要性についてご指導されています。

 仏法の根本は信を以て源とす、されば止観の四に云く 「仏法は海の如し唯信のみ能(よ)く入る」 と、弘決の四に云く 「仏法は海の如し唯信のみ能く入るとは孔丘(こうきゅう)の言(ことば) 尚信を首(はじめ)と為す況や仏法の深理をや信無くして寧(むし)ろ入らんや、故に華厳に信を道の元・功徳の母と為す」 等、…… 弘の一に云く 「円信と言うは理に依つて信を起す信を行の本と為す」(1244P) と仰せです。

 「円信と言うは理に依つて信を起す信を行の本と為す」 と、円信とは、妙法・御本尊への信、真実に対する信である。それは円の法理を聞くことによって、円信が起き、その信が修行の本と為るのである。

 「信」 について、二つの意味があります。
 一つは、「多宝仏・大地より出現して皆是真実と証明す」(188P) とありますように、説く方が 「真実を言う」 ということです。
 二つ目は、「疑い無きを信と曰い明了なるを解と曰う」(725P) とありますように、今度は受ける方が 「疑わない」 ということである。

 この両者が合致して 「信」 の意義も満たされ、仏と衆生が一つに結ばれて、境智冥合し即身成仏の大利益が得られるのであります。

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谷 建二郎

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北九州市小倉北区に在住 81歳
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