質問に答えて (1)

 「本門の戒壇」 の記事に “コメント” を頂きまして、その中に四つの質問がありましたので、ブログにて私の考えを発表いたしたいと思います。

 (1)なぜ 「御本尊」 という名がついたのか。それは 「御本尊」 とは、「根本尊敬」 という意味で(確か任用試験もしくは青年教学3級試験で勉強した記憶があります)、その真ん中の 「本尊」 を取り、「御」 を頭に付けることで、「御本尊」 と名がつきました。なのでもともと 「御本尊」 とは 「根本尊敬」 という意味です。
例えば、念仏でいうところの 「本尊(根本尊敬)」 は阿弥陀仏にあたると思います。
では、日蓮仏法の 「本尊」 つまり 「根本尊敬」 しているものは、何にあたるのでしょうか?


 以下、私の考えであります。
 日蓮大聖人は、人間の生命をもって 「御本尊」 を顕わして下さいました。ゆえに、「根本尊敬」 すべきものは 「生命」 であると言えます。

 「御本尊」 の相貌は、虚空会の儀式を借りて顕わしています。虚空会の儀式には、巨大な宝塔が出現いたします。この宝塔は、人間の生命の偉大さと尊厳さを象徴していると言われています。

 虚空会の儀式に参列したものは、「此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず」(1243P) とありますように、仏・菩薩から地獄・餓鬼・畜生の衆生まで全て具わっており、これは 「十界互具」 を顕わしています。「十界互具の当体」 といえば、すなわち、我ら衆生の 「生命」 そのものであります。

 また、この宝塔について、「今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり」(1304P) と仰せになり、ここでも阿仏房に、自分自身の生命が本尊であると信じて、修行に励みなさいと指導されています。

 大聖人は、末法の衆生を憐れんで、大慈大悲の御心をもって、御自ら 「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意(みこころ)は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124P)
 「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(760P)
 と仰せになりました。「法華経の行者」 とは、日蓮大聖人の御事です。
 したがって、日蓮大聖人の御生命が、即 「大御本尊」 であります。この御本尊こそ、我ら末法の衆生の成仏得道のために帰命すべき御本尊であり、天台・伝教大師が末法を恋い慕い、癩人でもよいから一目でも拝したいと願った 「未曽有の大御本尊」 であります。

 池田先生は、根本尊敬する生命について、次のようにご指導されています。
 人間の生命を根本尊敬する日蓮仏法こそ、まさに人間尊重の宗教の究極といってよい。そして、ここにこそ、新しき ヒューマニズムの源泉があるのだ。
 誰もが、平和を叫ぶ。誰もが、生命の尊厳を口にする。
 
 しかし、その尊いはずの生命が、国家の名において、イデオロギーによって、民族・宗教の違いによって、そして、人間の憎悪や嫉妬、侮蔑の心によって、いともたやすく踏みにじられ、犠牲にされてきた。
 いかに生命が尊いといっても、「根本尊敬」 という考えに至らなければ、生命も手段化されてしまう。
 
 ボリビアの人間主義の大詩人 フランツ・タマーヨは訴えた。
 「世の中に存在するすべては、生命に奉仕するために存在する。哲学も、宗教も、芸術も、学問も、すべて、生命に奉仕し、生命に仕えるために存在するのである」
 人類に必要なのは、この思想である。そして、生命が尊厳無比なることを裏付ける、確たる哲学である。
 
 人間の生命に 「仏」 が具わり、“本尊” であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根源といってよい。
 その生命の哲理を、人類の共有財産として世界に伝え、平和を実現していくことこそ、自身の使命であると、伸一は決意していたのである。
 (新・人間革命第19巻・300P)

 *先生の御指導の前半部分がある 「生命を本尊とせよ」 の記事 → ここから

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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