生死と波の譬え

 『生死一大事血脈抄』 に、「妙は死法は生なり此の生死の二法が十界の当体なり又此れを当体蓮華とも云うなり …… 天地・陰陽・日月・五星・地獄・乃至仏果・生死の二法に非ずと云うことなし、是くの如く生死も唯妙法蓮華経の生死なり」(1336P) と仰せです。

 これは 「妙は死」 「法は生」 ということは、「妙法」 そのものが 「生死の二法」 である。また、あらゆる生命の生死、あらゆる天地の現象の起滅が、ことごとく 「妙法蓮華経の生死」 であり、言うなれば、「生と死」 は本来的に 「妙法蓮華経」 に具わっているということです。

 池田先生は 『生死一大事血脈抄講義』 において、この 「妙法」 と 「生死」 の関係を大海原の波の譬えをもってご指導されています。 
 言うまでもなく、大海原が 「妙法」 であり、波が 「個々の生命」「個々の現象」 に当たります。そして、波が大海原から起こり、大海原に還っていくことが 「生」 と 「死」 に当たります。
 ここで注意すべきことは、個々の波が大海原に呑み込まれて消えていくように、個々の生命も死ぬと妙法の海に呑み込まれて消えていくのではない、という点です。

 外からは見えなくとも、海中には種々の海流が厳然と流れていると考えてみれば、生と死の違いは、海面に現れた波と、海中でうねる海流との違いといえるかもしれない。決して生命が死んで消えていくのではない。生も死も、ともに妙法のうねり以外のなにものでもないのです。
 海中のうねりは海面に現れて波となり、また、海中に没して見えないうねりとなる。同じように、生として現れた生命の波は、死によって妙法の海に溶け込み、見えなくなりながらも、うねりを持続している。そして、何らかの機縁に応じて、また新しい生命の波として出現するのです。
(同書53P) 

 戸田先生は、よく、死後の生命は大宇宙のなかに溶け込むと語られていました。
 この大宇宙の生命それ自体が、十界具足の生命です。大宇宙そのものに地獄もあり、餓鬼もあり、仏界もあります。私たちもまた、この大宇宙の地獄界なり、餓鬼界なり、菩薩界なり、そして仏界なりへと、それぞれの境界へ溶け込んでいきます。
 私たちの生命は、溶け込んでいるといっても、厳密に言えば、もともと、宇宙の生命それ自体です。大宇宙の海そのものが、刻々と変化を起している。常に、動き、変化しながら、「生」 と 「死」 のリズムを奏でている。

 前回、確認したように、一次元の譬喩で言えば、私たちの個々の生命は、大宇宙という大海から生まれた 「波頭」 のようなものです。波が起こることが、私たち個々の生命の 「生」。また大海と一つになれば、私たちの生命の 「死」 です。
 大宇宙に溶け込んだ死後の生命は、大海の中のうねりのようなものであり、決して一個所に固まっている訳ではない。大宇宙の生死のリズムに合わせて、宇宙に遍満しながら、動いている。
(同書73P) と述べられています。

 以上のように、波が起これば 「生」、大海と一つになれば 「死」 という絶妙な譬喩をもって教えて下さいました。
 宇宙生命も一個の生命も、この 「生と死」 が永遠に繰り返されて続いている、と日蓮仏法は説いているのである。

 しかれば、仏教以外の教えは、おおかた、どの様に言っているのであろうか。
 欧州統合の提唱者、クーデンホーフ・カレルギー伯が、池田先生と対談したときに、面白いことを言っていました。
 それは 「東洋人、とくに仏教徒にとって、この人生は本の一ページである。終わっても、めくれば次のページが出てくる。ヨーロッパ人にとっては、人生は一冊の本であって、終わればそれでお仕舞いだ。(趣意)」 ということです。
 キリスト教には、東洋的な輪廻観、即ち、生命は生死・生死と繰り返すという考えはないようです。この世界での生は今世だけで、ゆえに、死ぬのは一回だけということです。
 そして最後の審判の日に、神を信じた者は天国で永遠に生き続けるという。それに対して、神を信じなかった者は地獄に落ちるとされている。

 仏教でも権教の念仏宗などは、この世は穢土であり成仏できないから、念仏でも唱えて死んで、あの世で極楽浄土に往生しょうというのである。
 いずれも、子供じみた架空のおとぎ話の様なものである。本当は、死んでからのことが解かっている訳ではない。今世で苦悩が解決できなくて、どうして来世の安穏が確信できるのかと聞きたい。
 このようなことだから、生命が 「生死・生死」 と繰り返すなんて、確信がないから恐ろしくて言えないのである。

 要は現世で、どう 「永遠の価値」 を創っていくかと言うことである。それが出来るのが日蓮仏法である。
 大聖人は 「自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり」(724P) と仰せです。

 池田先生は、次のように指導されています。
 すなわち妙法を信仰した者は、法性の大地、仏界の大地の上を、「生」 の時も、「死」 の時も悠々と前進していく。大白牛車という壮麗な最高の車に乗って、自在に進むのである。「仏界の大地」 とは、絶対に崩れない幸福境涯のことである。大地のごとく盤石に固めに固めた自分自身の成仏の境涯である。その境涯を固めたら、三世永遠に続く。だから 「今世で頑張りなさい」 というのである。
 自分自身が 「法性の大地」 の上を、「生も歓喜」 「死も歓喜」 と前進する。これが 「生死、生死とめぐり行くのである」 ということである。
(輝きの人間世紀へ・402P)

テーマ : 宗教・信仰
ジャンル : 学問・文化・芸術

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谷 建二郎

Author:谷 建二郎
 
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北九州市小倉北区に在住 81歳
日蓮仏法と創価思想に関する私の教学的随想

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